9.18.2016

岩手県・三陸の海 奇跡の集落 201日目


2016年9月17日
岩手県・大槌(室浜港・箱崎港?)-大船渡 
晴れ 透明度1-2m / 5-6m 水温22℃

良い朝!
アナゴ漁師のおじいちゃんは漁を終えて帰ってきた。
朝早いなぁ。
牡蠣養殖のおじいちゃんは台風10号で被害を受けた所の修復作業。
明日にでも漁を再開できそうとのこと。



大槌湾の奥の方
港の脇で潜らせてもらった。
透明度はかなり悪い。
一部にはたくさんの流失物が残される。
網や仕掛けなどの漁具が目立った。



鍋や電気設備、延長コードなど色々落ちていた。


サメハダヘイケガニ
 10mあたりの海底は泥地。
たくさん見られた。


リュウグウハゼ
ここでもたくさん。



また大槌湾の入り口(沖の方)でも潜ってみた。
そこでは流失物はあまりなく、海藻も生き物も少ない磯焼けした海だった。
三陸海岸でも鬱蒼と茂る海藻の森もあれば、磯焼けしているところもあり、
まちまちだと聞いた。


震災直後の大槌湾(Kaminoさん提供)
大槌町中央公民館からの大槌湾。


2016年9月17日の大槌湾


震災直後の大槌湾(Kaminoさん提供)
大槌町中央公民館からの大槌小学校


 2016年9月17日の大槌小学校






大槌湾へ流れ込む河川の河口

 巨大な水門を建設中。



河口域その2
海も川も最も生産性の高い箇所が壊される。


 水門工事の少し上流では葦原が広がり水鳥たちがたくさんいた。






 釜石を通り吉浜へ。
ここでは川が凄いことになっていた。
これは川と呼んでいいのだろうか。
水路の方が近い気がする。


ここでも海辺や河口の工事は着々と進んでいる。
しかし、良いことを知った。
ここは大震災の時最も被害が少なかった地域として有名な場所らしい。
川の脇には平野部が広がり田園地帯となっている。
この平らな土地には人は住んでおらず、民家はすべて少し高台にある。
それは明治の大津波に学んで、未来への対策をしたためだった。


吉浜の津波の歴史  (是非呼んでも欲しい)


明治の大津波後、三陸ではどこでも高台への移転が行われたけど、
高度経済成長以降、徐々に平野部に人が住むようになったと聞いた。
なので被害の多かった土地は、高度経済成長以降にできた所だという。
吉浜では過去の教訓に学び、先人たちの教えを守ったからこそ、
被害が少なかった。


ここに今後の震災後の鍵があったんだ。
知らないことだらけ。


こんな教科書の様な素晴らしい街を目の前にして、
なぜ今の様な復興になってしまうのか不思議でしょうがない。


自然の驚異には逆らえない。
これはいつの時代でも変わらぬ宇宙の原理の様なもの。
それを人間の力で打ち勝とうとする滑稽な姿をすべての街で見る。
岩手は震災前まで日本で1,2を競うほど、自然の海岸線が残れていたらしい。


越喜来(おきらい)湾の海辺

 越喜来湾の海辺その2



 震災と復興。
これが一つながりのものだと思っていたけど、
復興のと在り方がここまで捻じ曲がっていることに驚いている。
岩手に入ってから、工事現場の監督の様に海辺をすたすら視察している。
なんでこんなことを僕はしているのだろうか。。。


あまりの光景に落ち込むばかり。
コンクリートで整備された海辺をしばらく歩いてみた。
まったくワクワクしない。


心配なのはこれが子供たちにも伝わるであろうこと。
これからここで生まれ育った子たちにとって、海とはそういう存在になるだろう。

復興とは未来に明るい希望をもたせて行われるべきだ。


 被災地への応援の心と復興工事への憤りと、
整理しきれない感情に、一人でかってに疲れている。


大船渡に到着。
久しぶりにお風呂でさっぱり。
人と会う前に少しくらいは綺麗になっておこうという涙ぐましい
努力をまだ忘れていない。
そんな自分を今日ばかりは称賛したい。
そんな気分(笑)


到着~!
クマさんだ~!!!
としての活動の方が知られていると思う。

一人での三陸巡りにちょっと疲れていたので、ホッとした。
よろしくお願いします!!
田舎のばあちゃんちの様な家でこれがまた落ち着く~。




震災後の海の事や復興について、そして地域の人との交わり、
色んな話を聞きながら、三陸での夜が更けていった。


秋刀魚ラーメン
ここに来たらこれを食べさせたい!と言われて連れて来てもらったのに、
濃厚魚介とんこつラーメンの誘惑に負けてしまった。
不甲斐ない。。。


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